歴史教科書に見る「戦後教育システムの闇」
先日、こんな記事を書きました。
江戸時代の税負担は、意外と低いことがわかります。
階級社会ではありますが、被支配階級から強引に収奪するというものではありませんでした。
天皇皇族や将軍と言えども案外質素で、武家も公家も貧乏。庶民に至るまで(一部の豪商を除き)均しく貧しかったようです。
しかしながらみな精神的に豊かで、比較的幸せな人生を送っていたようです。
そういう極めてバランスの取れた、成熟した社会システムがありました。だから江戸時代は二百数十年も存続し得たわけです。
学校の教科書に描かれているイメージとは大きく異なります。
ついでに明治時代。
版籍奉還、廃藩置県の後、地租改正が実施され税制が整備されました。天皇親政ということで、江戸時代より負担を引き下げました。
この時に定まった税負担は、地主に対し「地価の3%」です。
つまりアナタが今、500万円の土地を保有しているとして、税金はその3%ですから15万円ということになります。
これ、固定資産税の話ではありませんよ(笑) 毎年の租税です。
今日ほど土地売買が頻繁に行われていたわけではないので、地価はおそらく今日より割安だったはずです。しかもこの3%すらどうかという議論になり、すぐに2.5%に引き下げられました。
現在の税負担率と比べて、いかがでしょうか。
そうそう。土地を所有していないアナタは、基本的に無税です(笑)
税率だけで庶民生活の負担の大きさが解るわけではありませんが、ある程度の目安にはなると思います。
学校の教科書は、
「明治時代は殖産興業、富国強兵をスローガンに国民一丸となって頑張った。庶民は随分と辛く厳しい生活を強いられた」
といった描写で、「女工哀史」などを取り上げて暗いイメージを刷り込まれます。
しかしよくよく調べてみると、事実はどうやら異なるようです。
当時の日本を訪れた外国人の手記などを眺めると、庶民生活は明るく清潔で活気に溢れ、なによりも、
「人々の目が生き生きとしている」
と書かれています。
新しい時代を迎え、「欧米列強に追いつき追い越せ」と大いなる目標を掲げ、
「頑張れば報われる」
と希望に満ちていたように見受けられます。
では、大昔はどうだったのでしょうか。例えば奈良時代。
今日ではご先祖様から相続しない限り、私達庶民は資産を得られませんが、奈良時代は律令制度のもと、庶民には全員、田んぼが与えられました。
そして租庸調が賦課されました。
「租」はいわゆる地方税で、収穫の3%~10%。ただし不作や天候被害などに応じて減免されました。
「庸」は国税。祖より負担は小さい上に、次第に減少されました。
「調」は、税負担としては租と庸のおまけといった理解で良いのではないでしょうか。
その他、年に10日、地方の公共工事等に参加する義務がありました。さらに一部の人間が年に60日、防人として駆り出されました。
今日の私達の社会的負担と比べて、いかがでしょうか。
学校の教科書では、
「苦役に耐えかねて逃亡する農民もいた」
とか、「防人の歌」などを挙げて庶民の窮乏を強調していますが、教科書から離れて丹念に調べると、必ずしもそうではない実情が見えてきます。
日本の歴史において庶民は、一部の戦乱の時代を除けば、強引な搾取を受けていたのではなく、のどかで平和な生活を送っていたと言えそうです。
なによりの証拠に、それぞれの政権が比較的長く継続しています。
一揆のような、庶民が支配者の搾取に耐えかねて反旗を翻すケースは割りと珍しく、勿論庶民が一斉蜂起して政権が倒されたケースもありません。
これは他国の歴史と比較した際の、日本の歴史の特徴とも言えるでしょう。
ではなぜ、学校の歴史教科書が、いろいろと史実を歪めたイメージを私達に与えているのでしょうか。
実はそこに、日本の戦後教育の「闇」があります。憂うべき大きな問題が潜んでいます。
この問題について、今後引き続き言及していきたいと思います。
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