教科書の記述、実は「仮説」だらけ
最近びっくりしたこと。
「飛行機が空を飛ぶ仕組みは、実はまだ理論的によく判っていない」
という話。
浮力の理論ですね。
学校では、
「つばさの上と下を流れる空気の速度差により云々・・・・」
と習いました。あたかも完全に解明された、疑いようのない真実、真理であるかのように教えられました。
あれは、実は単なる仮説に過ぎないそうです。ホンマかいな、と疑っている学者先生方もたくさんおられるのだとか。
あらためていろいろと調べてみると、例えば宇宙のビッグバン理論なども相当に疑わしいそうですね。
日本以外ではほぼ、「理論として終わっている」という合意が形成されつつあるのだとか。
ビッグバンはそもそもが机上の理論で、その後幾つかそれを支持するような観測データが登場したために合意形成されたものの、今日の高度に発達した観測機器を用いるとむしろ理論を否定せざるを得ないデータがたくさん出てきているそうです。
相対性理論も同様です。万有引力の法則も、いやそれどころか質量保存の法則も、所詮仮説に過ぎず、長年の研究でかなりグラついてきているのだとか。
質量保存の法則までアテにならないとすれば、今日の物理学は根底から崩壊しますよね。
物理に限りません。
歴史などは特に虚構だらけです。経済は、科学の要件の1つである「再現による検証」がそもそも不可能ですから、全てが仮説に過ぎません。
しかしながら教科書は全て、真実、真理であるかのごとき論調で記述されています。
それを基に、先生が「疑いの余地のないかのごとき」口調で子供に教えます。
さらに、それを正解として設定されたテストが実施されるため、生徒はあくまでそれを真実、真理として素直に受け入れます。知識として頭に詰め込みます。
みなさんはこうした実態をご存知でしたか?
真理と仮説では大違いです。話が全く異なってきます。
この教育システムには、極めて大きな問題が隠れています。
つまり既存の「仮説」を真実、真理として捉え、それを土台にした狭い思考でしかモノを考えられなくなる、ということです。
仮説を疑ってかかり、もっと広く大きく思考するというスキルを体得し損なっているのです。いやもっと簡単にいえば、思考の柔軟性を失っているのです。
今日の日本は非常に大きな閉塞感に苛まれていますが、教育システムのこういった問題も大きく影響しているのではないか、と幸田は考えます。
日本の学校教育システムはそもそも、ある意図があって「わざと」このような問題を仕込んで構築されています。ですから問題が即座に改まることはありません。
ということは学校教育をアテにせず、子供の能力をもっともっと活性化させる学校外教育が必要だ、と幸田は考えるのです。
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